慈眼寺略縁起

慈眼寺の歴史

慈眼寺は弘治二年(一五五六)、慈眼寺は当時下総国中金杉村の領主であった高城守胤氏の命により、雪庭樹伯和尚を開祖とし、高城一族の菩提寺として開山されました。

天正十八年(一五九〇)、豊臣氏の小田原攻めにより高城氏は滅亡。しかし、法灯は村人たちに守られ、三代将軍徳川家光が狩場の休息所として利用したという話も伝えられています。

太平洋戦争後には、農地改革により、一時は檀家が三軒にまで激減していましたが、二十二世大淹徳優和尚がこれを再建。地元の厚い信仰もあり、現在では数多くの檀家に支えられる寺院となっています。